岩国市にある錦帯橋へ
11月の3連休、宮島サービスエリアで仮眠して安芸の宮島を散策の後、山口県岩国市にある錦帯橋へ向かいました。
11時頃に宮島を出発、錦帯橋までは、約一時間半です。高速道路を岩国インターで降り、一般道を走り、昼過ぎに到着しました。
錦帯橋と駐車場
駐車場は、錦帯橋の下にある河川敷で料金は、300円でした。
ここは、スペースが広く、余程のことがない限り満車にはならないくらいです。地面は、舗装されてなく砂利?小石?です。
車を停めて錦帯橋の真下まで徒歩で3分くらい。途中に屋台が出ています。
錦帯橋の後ろには、岩国城が見えます。
綺麗な5連の錦帯橋を渡って少し歩くとお城へと通じるロープウェイがあります。
岩国城は、岩国藩主(吉川広家)によって築城されますが幕府の命令により1615年に取り壊されます。
もちろん、現在のものは、復元されたもので錦帯橋からよく見えるようにと少し位置を変え復元されたと言われています。
上に登り橋のたもとには料金所(大人310円、子供150円)があり、その周りにはお土産、お食事処が軒を連ねれています。
錦帯橋は、東京都の日本橋そして長崎県の眼鏡橋と日本3名橋で江戸時代に架橋されたと言われています。人によっては日本橋でなく二重橋が3名橋の一つだといいます。
この橋は、暴れ川と言われる錦川に五連のアーチで架けられている193.3mの時代劇に出てくるような風格のある美しい橋です。
長い歴史の中で幾度も洪水で被害を受け、1673年に藩主が流されない橋を作りたいとの願いから5連アーチ構造に辿り着きました。
それ以来、改修工事は行われたものの1度も流されることがなく不死鳥と言われています。
そして岩国市は、この錦帯橋を中心としたこの城下町を含めて世界文化遺産への登録を目指しています。
広島市に移動
私達は、この近辺を1時間ほど観光をしてから約45キロUターンする形で広島市に向かいます。
夕方、広島市に居る親せきと合流し、繁華街で夕食。
この頃、広島市は、今ほどコロナ禍が深刻でなく街中は、活気がありました。
夕食の後、少し繁華街をぶらぶらしてから親せきの家に行き泊めてもらいました。
平和記念公園
翌朝、徒歩で約5分、世界平和を願い作られた平和記念公園へ
記念館は、整理券を貰って12時からの見学ですのでそれまで公園内を散策
公園内には、平和記念資料館や原爆ドームがあります。
上の画像は、「原爆の子の像」です。写真には全体が写っていませんが三脚の塔の上には少女の像があります(少女の足だけが写っています)
像のモデルになったと言われているこの少女は、2歳の時に被爆し、当時は外傷もなく普通の生活をしていましたが10年後に突然、白血病に襲われこの世を去りました。
そして当時の同級生たちが原爆で亡くなった子供たちのため全国に呼び掛け、この慰霊碑を作りました。
画像の後方には千羽鶴が沢山かけられています。
原爆ドームへ
すると、またまた改修工事です。この二日間、二つの世界遺産を訪れて二カ所とも改修工事とは少し笑えてしまいます。
でも、めったにない二つの世界遺産の改修工事をほぼ同時に見れたことは奇跡に近いと無理やり自分を納得させ整理券を貰っている記念館へ向かいました。
平和記念館
記念館の予約口↓↓
記念館の中ではイヤフォンを借り、当時の状況などの説明を受けますが映像、画像は現在では殆ど目にすることがないようなものが多く展示されており10歳の娘にはかなり刺激の強いものと心配していました。
そして、出口で娘を2時間待ちました出て来ません。
心配になって順路を逆に戻り、探しに行くと半分くらいの所で展示されている写真を見ながらイヤフォンで真剣に説明を聞き入っています。
衝撃を受けたのか興味を持ったのか、全ての説明を飛ばすことなく順を追って聞いていたようです。
親として最後まで見せてやるべきか思案しましたが流石に後2時間ここに居れば今日中に帰れなくなると判断し、そこで記念館を後にしました。
結局、広島市を4時頃出て、遠く離れた家路に向かいました。